祿壽應穏(ろくじゅおうおん)を掲げ関東に静謐をもたらすべし。執筆中に急逝した著者火坂雅志先生の遺志を継いで伊東潤先生が完成させた傑作「北条五代」

伊東潤

こんにちは。

かなり久しぶりの投稿になりました。
本業のほうが忙しく、なかなか趣味の読書に割く時間がありません。
コロナがやや落ち着き、仕事もリモートから出社主体になったので、帰宅時の電車内で読書をしようと思っていましたが、本業のほうで読まないといけない書物もあり、なかなかこちらに時間を割けません。
休日にゆっくり読書できるようになるのはいつかなぁ…。

コロナのほうは、落ち着き傾向にあるように思いますが、どうやらそれは日本だけのようで、オミクロン株やらなんやらで、まだまだ気を抜けない状況ではあります。

外食もねぇ。
ある程度、制限は緩和されてきてますが、時間やら人数の制限があったり、何よりお酒を飲んでいても、なんとなく、コロナを気にしないといけないのが微妙。
まあ、まったく飲めなかった頃に比べれば前進はしていると思えるので、よしとしたいと思います。

そうそう、県外への移動がはばかられない感じになってきたので、一年半ぶりくらいに帰省もできまして、そのついでに、弟一家の暮らす上越のほうにも行ってこれました。
初めて春日山城址や高田城址公園に行きまして、そのあたりは Twitter を見ていただくとよろしいかと。
このブログでも、おでかけ日記的なもの作ろうかなぁ。
上越巡りは、あまり時間がなく、駆け足になってしまったので、また、時間をとってやりたいと思います。

さて、そんな中、読み終えたのは、前回に続き、再び後北条モノです。

前回、伊東潤先生の「黎明に起つ」を読んで、後北条の始祖 北条早雲については一歩進められたものの「北条早雲が凄いのはわかったけど、その後の北条氏は全然知見がないなぁ」と思いまして、その手の作品がないかなと探していたら、とんでもないものを発見。

「著者名に火坂雅志先生、伊東潤先生 二人の名が書かれている?どういうこと?」そしてタイトルが探していたものドンピシャで「北条五代」。

迷わず購入しました。

ということで、今回は、火坂雅志先生と伊東潤先生の二人が著者として名を連ねる「北条五代」です。

面白かったです!
面白くないわけがないです。

気になる「著者が二人」の点です。
火坂雅志先生といえば、管理人の大好きな直江兼続を主人公にした、NHK大河ドラマの原作にもなった「天地人」の著者なんですが、2015年に58歳の若さで亡くなっています。
「ということは、亡くなる前に共著みたいにして書いたものか?」と思って巻末を開いたら、初版が 2020年。
「もしや…」と思ったら、そうです、火坂雅志先生が書いている途中で亡くなり、絶筆となったものを、伊東潤先生が引き継いで完成させたというではないですか。

「ああ、お二人、きっと仲がよかったんだなぁ」と思いながら読んだんですが、なんと、生前、特に親交があったわけではないのだそう。(一度挨拶を交わしただけとか)
同じ作家として、書ききれなかった火坂雅志先生の無念さを想った伊東潤先生が、火坂雅志先生の奥さんに直談判しにいって、絶筆となった本作を引き継がせてもらったのだそう。
これは「巻末エッセイ」で伊東潤先生から語られるのですが、本編を読み終えて余韻を持った中、この話を聞きグッとこみ上げるものがありました。

本作は、史実を基に時系列に沿って物語が進みます。
なので、早雲 → 氏綱 → 氏康 → 氏政 → 氏直ということになるのですが、ちょうど氏康の少年期くらいまで、父である氏綱の全盛期くらいまでが火坂雅志先生、そこからが伊東潤先生という形になります。
しかし、著者が変わったことは全く気にすることなく読めました。
伊東潤先生がよほど配慮したんだと思います。
作品内で、明確に火坂雅志先生の章と伊東潤先生の章がわかるようになってますが、それがなかったら、きっと管理人には気づけなかったと思います。

さて、内容のほうですが、管理人、前述の通り、後北条家に関する知見がなかったのですが、本作を読んで北条氏を見直しました。

やるじゃん、北条家。

初代早雲については、伊東潤先生の「黎明に起つ」と、中村晃先生の「北条早雲~理想郷を夢見た風雲児~」で、多少の知見を得ていましたが、両方とも早雲が幼少の頃からの作品であったのに対して、本作は関東に上って来るあたりからのスタートになったため、個人的には茶々丸(初代堀越公方 足利政知の子)の件と小田原城乗っ取りの顛末がよくわかってよかったです。
早雲に倒されたと思った茶々丸が実は…というくだりからの茶々丸の最後は、近年の研究結果を踏まえてのものらしく「そうだったんだぁ」と思いながら読みました。
また、山内上杉と扇谷上杉との対立を利用した小田原城の乗っ取りのくだりも整理できました。
元々、扇谷上杉側について早雲と同志だった大森氏頼と違って、バカ息子の大森藤頼が山内上杉側について、早雲の敵になったのが、藤頼の運の尽きなんだな。うん。

二代目の氏綱は、幼少の頃はやや心許ない気配を漂わせますが(というか氏綱に限らず二代目以降は優しい子がどんどん逞しくなっていくという感じ)、父早雲の遺志を引き継いで頑張りましたねぇ。
クライマックスは、古河公方(こがくぼう)の分家?である小弓公方(おゆみくぼう)との戦いで、国府台合戦(こうのだいかっせん)と呼ばれているらしいですね。
この戦いに勝って関東管領の座に就くことで、氏綱の代で関東制覇がなされたと言えるかなぁ。
やりたかった鶴岡八幡宮の立て直しもできたようだし。

三代目の氏康も有能。
そもそも、伊豆千代丸と呼ばれていたちびっこ時代からワンパク。
伊豆千代丸時代に、日向国、つまり今の宮崎県の鵜戸神宮に行ったエピソードって本当なんですかね。(※1)
二代目氏綱のクライマックスである国府台合戦でも、実は氏康が主役じゃね?ってくらいの活躍を見せる有能ぶり。
対外的にも、上杉謙信、武田信玄と対峙していくことになるので、たいしたものです。

このあたりからなんですよねぇ、武田信玄はいいとして、上杉謙信もイメージが悪くなっていくのが…。

そうそう、以前管理人が読んだ蓑輪諒先生の「最低の軍師」に出てくる白井浄三入道が出てきます。
臼井城攻防戦は北条と上杉謙信との戦いですからねぇ。
「おお!」ってなりました。
白井浄三ってそんなに有名じゃないかと思っていたんですけど、わりと有名?

四代目の氏政も有能なんですが、ここで少し初代早雲から掲げてきた「祿壽應穏(ろくじゅおうおん)」の精神が揺らぐんですよねぇ。
この「祿壽應穏」というのは、とても崇高な思想でして、正確なものは調べていただきたいんですが、管理人の理解としては「北条の下にいる人たちの財産とか命とかをしっかり守って、穏やかな暮らしを約束する」みたいな感じ。
そこには「北条(関東)の民を守るための戦い以外の勢力拡大や侵略だけを目的とした他国との不毛な争いもしない。」ということも含んでいて、不義な戦いもしない、というもの。

これが、氏政の時に「北条を滅ぼすわけにはいかない」ということで、やや反する選択になったりします。
これはこれで、仕方ないとも思えました。
ただ、結局、その選択をとるにも関わらず、報われないというのが何とも皮肉と言うか…。

氏政、可哀想なんですよねぇ。
武田家から嫁いできた奥さんとアレでしょう?
そりゃ、ブチ切れますよ。

弟の三郎、後の上杉景虎も、越相同盟を反故にされたのに返してもらえないし、挙句の果てに御館の乱でアレでしょう?
ほんと、気の毒…。

でも、氏政の時が、一番所領も多かったみたいなんですよ。
そのくらい有能。

五代目の氏直も有能。(結局、みんな有能)
管理人、氏直は一番ダメかと思ったんですが、本作を読んで改めました。
思っていたよりもずっとしっかりしていました。

NHK大河ドラマ「真田丸」とか見てたら、なんとも頼りなく、父政氏の傀儡だなぁと思っていたんですが、どうも違うっぽく、最後まで秀吉との戦にならないようによく頑張ってました。
秀吉がひどいんだ。っていうか、真田昌幸がひどくね?

秀吉と和議を結ぶことに奔走した氏直の努力は実らず、最終的に豊臣大軍団との開戦となってしまうわけですが、その先の結末を見越して氏直が言った「われらは滅びるのではなく、(関東の民に静謐をもたらすための)役割を終えたのだ」が悲壮。
哀しくって泣けました。

結末は、歴史の示す通りで、それでも、最後、氏直よかったじゃん、からのアレは辛かった。
そうだったんだ、知らなかった…。

ということで、これが、ざっと各代の印象なんですが、冒頭にお伝えした通り、北条氏、見直しましたねぇ。

元々、秀吉、家康、信玄あたりはあまり良い印象を持っていなかったので、それはそのまま(いやむしろ、悪いほうに伸びた)なんですが、謙信もちょっとイメージが悪くなりましたねぇ。
謙信にも「義」はあったものの、その「義」は天皇や将軍の下に拘ったものであったのに対し、北条の「義」はあくまでも民の暮らしに寄り添ったもの。

まあ、見る角度と描かれ方によって違ってくるのでしょうけど、他がどうこうというよりも、北条はすごく領民に寄り添った「義」を以て、関東を治めていこうとしていたのだなぁということがわかり「関東に住んでいる皆さん、もっと北条を評価したほうがいいですよ」という気持ちでいっぱいになりました。(勝手に評価されていないと思っているだけで、本当はとても評価されているのかもしれない)
今後の映像作品での北条氏に対する目も変わりますねぇ。

そうそう、北条氏の映像作品ってどうなのかなぁ、と思ってググってみたところ、小田原市が「北条五代を大河ドラマに!」ということで、力を入れてるんですね。
しかし、現在の署名人数が15,000人は少なすぎでしょう!?
署名することで、大河ドラマを作ってもらえるかどうかはさておき、小田原というか関東の方は協力してあげていいんじゃないでしょうか。
私、オンライン署名もできるということで、署名しておきました。
よくわかんないですけど、頑張って、大河ドラマ化してもらいましょう。
ただ、5代一挙は駆け足すぎる気がするので、まずは、初代 北条早雲あたりでどうでしょう。
妄想がすぎますね。

ここで、ふと思ったのが「上杉謙信を主人公にした映像作品ってなくね?」です。
「天と地と」とかあるんですけど、そういうのではなくて、上杉謙信ただ一人が主人公の映像作品って無い気がするんですが、そんなことないですかね?
で、その理由で思ったのが「奥さんがいないこと」かなぁ、と。
これ、もしや、結構、映像作品化するのに、大事だったりするかもしれない。
謙信公、生涯独身を貫きましたからねぇ。
映像作品化する時に、ロマンスないのが、ちと厳しいのかもしない。
…などと、かなり勝手なことを書いてしまいました、すいません。

脱線しましたが、元に戻しましょう。

というわけで、今回も愚にもつかないレビュー(レビューになってない)になりましたが、急逝された火坂雅志先生の遺志を継いで、伊東潤先生が一つの作品として世に出していただけたというところで胸熱なのに、中身も胸熱な本作、是非、読んでみてください。
とりあえず、関東在住の方は読まないとダメでしょう。
北条氏を見直してください。

さあ、少し北条氏に対する知見を得たので、いい加減、小田原城に行こう。
鶴岡八幡宮も行こう。
箱根湯本にあるという金湯山早雲寺も行こう。

本作を未完の作品にせず、完成させて世に出してくれた伊東潤先生には感謝です。
火坂雅志先生も喜んでらっしゃるんじゃないでしょうか。

歴史には浪漫がある。

(※1)この疑問については、なんと、著者の伊東潤先生ご本人から回答をいただけました。
以下、原文のままです。
「氏康が日向国まで行ったことは史実ではありません。火坂さんの設定を引き継いだので、そうせざるを得なかったわけです。自分だったら、大名家の当主が冒険の旅に出かけるという設定はやらなかったです。」
伊東先生、貴重なお話、ありがとうございました。

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