誰もが東軍か西軍かの二択を考えていた幕末に別の一手を目指し、越後長岡を焦土にさせまいと最期まで奔走した末の早逝が悔やまれてならない「龍が哭く 河井継之助」

秋山香乃

こんにちは。

7月に入り、週の半分ほどオフィスへの出社を開始したものの、またコロナ感染者数が増えつつあるうえに、空気感染もあるような情報が入ってきて、オフィスへの出社を控えたい気持ちが募ってきている管理人です。
このところの大雨の影響で、九州は大変だし、九州以外も大変だし、今年はホントどうなってんでしょう。早く穏やかな日々に戻りたい。

さて、そんな中、一冊読了しました。
今回は、管理人初読みの作家 秋山香乃先生の作品「龍が哭く 河井継之助」です。
「哭く」と書いて「なく」と読みます。
昨年の夏に読んだ司馬遼太郎先生の作品「峠」以来の、越後長岡の英雄(当事者の中にはそう思っていない方もいらっしゃるそうですが)河井継之助を扱った作品です。
九州出身の秋山香乃先生が、こんなにも愛情を持って河井継之助を描いてくれるとは本当にありがたく、新潟県出身の管理人としては感謝の気持ちで一杯です。
新潟県は秋山香乃先生に何かお礼とか出さないんですかね。まあ、管理人が言う話じゃないですが。

新潟県では普及率50%(2017年時点)らしい「新潟日報」というローカル新聞で2015年2月~2017年3月まで連載していた作品を書籍化したものだそうで、「新潟日報」以外の複数誌でも掲載されていたんだとか。
「新潟日報」については、管理人が新潟で暮らしていた幼少の頃(30年くらい前)は、クラスのほぼ全員の家が「新潟日報」だったんじゃないかなというくらいダントツで普及してた気がしますが今はどうなんですかね?普及率50%は少ない印象です。
とはいえ、実は管理人の家は「新潟日報」ではなく「読売新聞」をとってまして、当時としては、かなりマイノリティだったんじゃないかなと思ってます。
子供ながら「どうも友人らの家では新潟日報を読んでいるようなのに、なぜウチは読売新聞なのだろう?」と思い、当時、祖父、父に聞いたものですが、確か「新潟日報は新潟の情報が多いだろう?新潟の情報は放っておいても入ってくるから、もっと外に目を向けるためには、新潟以外の情報が多い読売新聞がよいんだよ。」という、なんだか、今聞くと継之助みたいなことを言っていたような気がします。子供の頃は、テレビ番組表とスポーツ欄くらいしか読まないのでよくわかりませんでしたが。
時々、間違って「新潟日報」が届くことがありましたが、配達員さんに電話して「読売新聞」を持って来てもらってましたね。当時は「今日は新潟日報読んでおけばいいんじゃね?」って思ってましたけど、習慣で読んでるものが、大なり小なりフォーマットが違うっていうのは、まあ嫌かもしれないなぁ、と今となっては思います。

えっと、かなり脱線してしまいました。「新潟日報」の話はもう終わりにして、作品についてのレビューを。

まず感想ですが「めちゃくちゃ面白かった」です。
第6回野村胡堂文学賞を受賞している作品なくらいなので、面白くないわけがないですね。
とかいいながら、野村胡堂文学賞というのは聞いたことがなかったのですが、管理人が好きな「宇喜多の捨て嫁」の木下昌輝さんが書いた「絵金、闇を塗る」という作品が、翌年の第7回野村胡堂文学賞を受賞しているということは、きっと素晴らしい賞に違いありません。木下昌輝さんの「絵金、闇を塗る」も読まなきゃ。
そんな素晴らしい賞をとっている本作が面白くないわけがない。

内容については、基本的には実在した河井継之助の物語で、大筋では「峠」のそれと同じになるので、その部分については過去に管理人がレビューをおこなっている以下を読んでいただきたいです。

幕末の英傑は、西郷隆盛や坂本竜馬、新選組だけじゃない。密かに爆誕していた河井継之助という越後長岡藩の風雲児が、真のサムライの姿を魅せてくれる「峠」

なので、ここでは、きっと避けては通れないであろう、司馬遼太郎先生の「峠」との比較からさせてもらおうかな。

まず「峠」を読んだからと言って本作を読まなくてよいかというとそんなことはありません。
むしろ「峠」を読んだのであれば、違いを楽しむべく、本作を読むべし、です。

「峠」を読もうと思っていてどちらから読もうか迷っている方がいるとしたら、管理人は「龍が哭く」→「峠」の順に読むことをお勧めします。
理由は「龍が哭く」のほうが読みやすいから。管理人は「峠」よりも本作のほうが読みやすかったです。

これは好みの問題も大いにあると思うんですが、管理人のような歴史小説・時代小説初心者(とはいえ、もう50作品以上は読んでますが)にとっては、司馬遼太郎先生の作品は、やや敷居が高いところがあり、ちょっと難しいところがあるのですよね。
その点「龍が哭く」は読みやすいので、先に「龍が哭く」で河井継之助についての知見を得て、「峠」に挑むと、やや難解(な気がする)「峠」の内容もすーっと入ってきていい感じなんじゃないかと思います。
管理人は逆だったので、「龍が哭く」を読み終えた今、もう一回「峠」を読もうかなぁと思っていたりします。

また、作品で扱っている継之助の時期が「峠」と「龍が哭く」ではちょっと違ってまして、「峠」が継之助の結婚前の青年期からスタートしているのに対して、「龍が哭く」は結婚後(結婚直後?)くらいからのスタートになります。
なので、「龍が哭く」を読んでから「峠」を読むと、「お、結婚前の継之助を見れる」とお得な感じも出てくるかもしれない。

「龍が哭く」は、継之助の結婚後からのスタートになっていることで、彼の人生にとって大きな影響を及ぼしたであろう備中高松と長崎への遊学の場面などは、「峠」に比べて内容多く描かれているような印象です。
逆に「峠」でそこそこ描かれた吉原や横浜での継之助は「龍が哭く」ではかなり薄めな印象で、あー、まあ、そのあたりは著者によって書きたかったところも違うだろうから、それはそうだよなぁと、今、これを書いてて思います。
しかしあれですね、「峠」でも描かれた吉原での小稲との話が本作でも出るということは、あれ史実なんですね、きっと。
但し、本作では小稲とのやりとりは「峠」のそれほどは描かれません。本記事最後の5段階評価で「エロ度」が ★0 ということは、まあそういうことですね。

あとは、関わる人物かなぁ。
もちろん、師匠山田方谷とかエドワード・スネルは出てきますが、仙台の細谷(鴉)十太夫とか、会津の秋月悌次郎って「峠」であんなにたくさん関わっていたかなぁ?「龍が哭く」では準主役級に彼らが活躍してる気がします。
もしかしたら、人物を多数登場させてそれぞれの印象を薄くするよりも、ある程度絞って、それぞれの印象を強くさせることを狙ったんだとしたら、見事、その通りになってると思います。人物の相関関係とかをあまり気にせずに読むことができる(気がした)のも、本作が読みやすかった要因の一つかもしれません。

ああ、そうそう、継之助と奥さんの「すが子」の印象もちょっと違う気がします。
それは、「龍が哭く」のほうが、両人ともに「心の声」を聞かせる描写が多かったからかもしれない。
本人たちがその時にそう思っていたかは、当然わからないはずですが、秋山香乃先生がいい具合にそのあたりを描いてくれていることで、二人の人間らしさとか、想いとかがより伝わる感じがあり、そういう面での優しい感じは「龍が哭く」では非常によいです。
女性の秋山さんが描く、継之助を想うすが子は、けなげだけど、強くて凛々しくてかわいいです。最後、悠久山の場面とかもう泣けますね。泣きました。このあたりも非常によかったです。
継之助もそうかなぁ、「峠」での継之助は何を考えてるのかよくわからない、みたいなキャラだった印象がありますが、「龍が哭く」での継之助は、わりと心の声が書かれますから、何を考えてるかよくわからないキャラ、ではないように思います。

あれなんですかね、司馬遼太郎先生が「峠」を書いた頃からかなり時間も経っていることから、当時よりもより研究が進んで新たに分かってきたこととか、独自の調査で新たに分かったこととかを盛り込んでいたりするのですかね。
いやきっとそうだろうなぁ。だとしたら、「龍が哭く」で描かれる内容のほうが、より実際に近いのかもしれない。
しかし、長崎でのグラバーとの邂逅は、あれ事実なんだろうか。事実だとしたら、やはり偉人同士というのも、惹かれ合うものなのかと思わざるを得ない。

とまあそんな感じで、作品全体の雰囲気やフォーカスされる部分が微妙に違っているので、「峠」を読んだという方も、非常に楽しめるようになっていると思います。

さて、「峠」との比較はそろそろ終わりにするとして、まあ、やっぱりあれですね、改めて河井継之助の物語を読んで思ったのは、河井継之助という人は悲劇の英雄なんですよねぇ。ホント。

今でこそ、こうやってとりあげられ、日の目を見るに至っているけれど、戊辰戦争からしばらくはかなり厳しい評価をされ、未だにその評価は賛否両論あると聞きます。

たしかに、当時の長岡の人たちにとっては、長岡を焦土にした罪悪人としか思えなかったというのもわかるし、かと言って、本作でも語られる継之助の真意を知ると、誰よりも長岡と長岡の人たちを愛していたのだとも思え、結果、あの結末に至ってしまったというのは本当に残念でならない。
ああなるまでは、借金だらけでどうにもならなかった長岡藩を見事に立ち直らせ、人々の暮らしもよくなったはずなのに、最終的には罪悪人の汚名を着せられたことは、本人は覚悟していたにせよ、すが子ら家族・親族は堪(たま)らなかっただろうと思います。おのれ、岩村清一郎め、口惜しや。

継之助は、西郷隆盛などの幕末で名を馳せた人たちにも一目置かれていたと聞くので、明治の時代に生きていたら、きっと彼らと並び、後世に名を成すことになっていたんじゃないかと思います。まあ、すでにある程度の知名度にはなっている気がしますが。
本作でも、そのあたりの継之助の魅力、というのは存分に炸裂するので、ぜひ堪能してもらいたいなと思います。管理人、彼と同郷であるということを誇りに思います。

余談になりますが(というかこのブログはほぼ余談)、作中、当然ながら越後新潟が舞台の一つなわけで、巻だの曽根だの吉田といった、わりと管理人の実家に近しいところや、最期、秋月悌次郎と加茂で再開なんてあたりは、三条・加茂が高校時代の活動範囲だった管理人には、かなり胸熱でしたねぇ。
あのあたり、継之助に関わる史跡とかあるのだろうか、あれば帰省の際に行ってみたいところ。
戦時、継之助はかなり長岡と新潟を行き来したらしいことが書かれていたので、管理人の実家近くも通ったのかもしれない。
まああのあたりは、戦場にはならかなかったにせよ、西軍なり東軍なりの行軍の経路としては使われたんだろうから、そう考えただけでも、なかなか胸熱ではあるんですけどね。

というわけで、いつもと同様、今回もまた愚にもつかないレビューをだらだらとしてきましたが、非常に面白い作品です。
幕末の小藩 越後長岡藩の人間からみた当時の日本の情勢と、あまり目にすることのない戊辰戦争の裏側を垣間見つつ、最後まで士(さむらい)としての信念を貫き通した英傑 河井継之助の活躍を描いた本作、是非読んでみてください。面白いですよぉ。

あー、これ、映像化ってないのかなぁ。いや、あるぞぉ、これ。うん、あるある。
映画になるか、NHK大河か。そうなったらいいなぁ。見てみたい。

歴史には浪漫がある。

ノンフィクション度
3.5
奇想天外度
0
サムライ度
4
忍者度
0
エロ度
0
管理人満足度
4.5
にほんブログ村 歴史ブログへ