足利尊氏に「斬ってやる」とまで思わせるのに結局頼ってしまう憎めないあんちくしょうをやりきった婆娑羅(ばさら)大名の代名詞といえばこの人「道誉なり」

北方謙三

こんにちは。
久しぶりの投稿になりました。

コロナの第三波ということで、感染者も重症者も増えているようで、医療崩壊が近いという報道が日々なされております。
感染から復帰できた人が多数いることから、どこかで「まあ、感染してもなんとかなるだろう」という雰囲気が出てきているのは否めません。
GOTOの撤回も、非常事態宣言も出そうもありませんので、自衛するしかないですね。
ルールがあっても守れない人がいる中で、自粛を促されるくらいでどうこうできるとは思えません。
日々増えていく感染者の治療のために尽力されている医療従事者の方には頭が下がります。
「感染してもなんとかなる」の気持ちは棄てて、「感染しないこと」に注力したいものです。

管理人は、相変わらず出社とリモートワークのハイブリッド稼働を継続していますが、第三波のこともあり、一時増えた出社の回数をやや控える傾向に戻ってます。
それに伴って、通勤という読書にうってつけな時間が発生しなくなるものですから、なかなか、読書時間が作れず、前回の投稿から時間が経ってしまいました。
自宅にいたって、読書時間作ればいいんですよねぇ…。
でも、自宅にいると、それを仕事の時間に充ててしまうのですよねぇ…。
これを変えていかないとだなぁ、改めます。

ということで、今回の作品は、またまた北方謙三先生の南北朝小説群の一つで婆娑羅(ばさら)大名といったらこの人の佐々木道誉(ささきどうよ)を主人公にした作品「道誉なり」です。

いやぁ、まだまだ続きます、管理人の南北朝時代ハマり。
この時代の知見が全くなかったので、読むものがどれも新鮮で面白い。
しかも、佐々木道誉はこの時代にあってわりと長生きしたので、彼の一生を追えば、南北朝のそれが全部わかるんじゃないかと思ったんですが、結果、そうだった、と思います。多分。

さて、佐々木道誉といえば、婆娑羅(ばさら)でしょう。
とかいいながら、管理人、このところの南北朝ハマりで佐々木道誉を知ったことで、婆娑羅(ばさら)なるものをある程度理解したものの、それまでは理解していませんでした。
ゲームで「戦国BASARA」というのがありますが、そのBASARAとこの婆娑羅(ばさら)は一緒ですよね?
佐々木道誉を知ったことで、婆娑羅(ばさら)も多少理解できました。

婆娑羅(ばさら)についての説明はここではしませんが、イメージとしては、傾奇者(かぶきもの)と似てますよね?
正直、あんまり違いがわかっていないんですが、この南北朝時代のこの手の人だけを婆娑羅(ばさら)と呼ぶんですかね。
傾奇者というと前田慶次郎利益(まえだけいじろうとします)を思い浮かべますが、佐々木道誉も同じようなイメージです。
ただ、前田慶次郎利益が、わりと普通の武士だったのに対して、佐々木道誉は身分がすごく高いのと、室町幕府を開いた足利尊氏の近くにいながらにしてそれをやっていたので、そのあたりでちょっと雰囲気が違うかな。
そのあたりは、本作品を読んで感じていただくとよろしいかと思います。

本作は、足利尊氏が六波羅探題を陥落させた直後くらいからスタートし(わりと遅くて、NHK大河ドラマの「太平記」を観ている管理人からすると「え、ここからなの」という感じでした)、佐々木堂誉の晩年までを描いているんですが、冒頭でお伝えした通り、この時代にあってわりと長生きするので、ややネタバレになりますが、足利尊氏の最期を確認できます。

この作品は、「堂誉なり」というくらいなので佐々木道誉が主人公なのは間違いないんですが、W主演といってもよいくらい足利尊氏もフィーチャーされます。
なので、管理人は、これまで知らなかった足利尊氏の後年をやっと知ることができました。
これまでに読んだ「楠木正成」はアレだし、「破軍の星」の北畠顕家(きたばたけあきいえ)もアレじゃないですか。
悪党の裔」(あくとうのすえ)の赤松円心(あかまつえんしん)は、そこまで足利尊氏に近しいわけじゃないので、詳細に描かれなかった。
でも、本作は、やはり足利尊氏に近しい間柄だった佐々木道誉なので、そのあたりはバッチリ描かれてました。

本作での足利尊氏が佐々木道誉に抱く感情は、かなり複雑かつ変化が激しくて、一時は殺してやりたいとまで思うに至ったりします。
佐々木堂誉が、結構無茶しますからねぇ。
でも、足利尊氏は佐々木道誉のことが嫌いじゃないんですよね。多分。
そして、佐々木道誉も足利尊氏のことが嫌いじゃない。多分。

本作で描かれる足利尊氏を思うに、尊氏は羨ましかったのではないかなぁ佐々木道誉のことが。
自分は源氏の棟梁(とうりょう)という立場にあるために、そのように立ち居振る舞う必要があって、それは一時は心地よいものであったものの、最終的にはそうでなくなる。
一方で、そういった立場を気にせず、そして、自分の思うがままに生きている(ように見える)佐々木堂誉なわけですが、とはいえ、佐々木堂誉は佐々木堂誉なりに信念があって、それに基づいて立ち居振る舞っているわけで、そのあたりの二人の違った生き方が、パラレルに描かれていくのが本作の面白いところの一つだったりします。

しかし、管理人、なんとなく想像していたんですが、本作を読んで改めて思ったのは、足利尊氏は可哀そうな人だったなぁということ。
才能はあったと思います。
しかし、その才能と、源氏の棟梁という立場のおかげで、なんだか大事なものを自らの手で失い続けた。
佐々木堂誉は、足利尊氏がそういうことになるのかもしれないと、ある時から感じていたのかもしれないなぁ。
そのために、あの立ち位置に居続けてくれたのかもしれない。
佐々木堂誉のあの飄々(ひょうひょう)とした立ち居振る舞いの中にあっても、それは感じました。

話は逸れますが、ずっと足利尊氏を支え続けた、弟の足利直義(あしかがただよし)と高師直(こうのもろなお)が、後年、ああいう形になるとは本作を読むまで知りませんでしたねぇ。
彼らの実際の所業がどうだったのかがわからないですが、管理人の感覚でいくと「いくらなんでも、そんなことある!?」という感じです。
まあ、あの時代はほんとそんなのばっかりではあるようですが。
このあたりが、管理人が足利尊氏を好きになれないところです。

あー、なんだか「堂誉なり」なのに、足利尊氏のことばかりになっているなぁ。
まあ、そのくらい、本作は、足利尊氏がフィーチャーされてます。

佐々木堂誉については、婆娑羅(ばさら)っぷりがどうこうよりも、頭がいいんだよなぁ。
冒頭、歳上の佐々木堂誉に対して、足利尊氏が「道誉殿」から「道誉」と呼び捨てにするようになったことに気づく場面があるのですが、そこを「立場を考えれば当然」と思える器量もある。
正直、戦上手かどうかは本作ではわかりませんでした。
しかし、政治的な能力が非常に高い。あと、経営力が凄い。
そういう意味では、大局を見据えて、あらゆる手を使って戦に挑むところは、ある意味、戦上手とも言えるかもしれません。腕力や戦術の上手さだけが戦上手でもないですしね。

一見すると、あっちについたり、こっちについたりという日和見(ひよりみ)感がありますが、それは近江佐々木家を守るためという、堂誉なりの信念に基づいていて、当時の世の中を鑑みたらそれは当然のこと。
その中にあっても、道義に適(かな)わない所業には一歩も引かないというあたりがカッコいい。
だからなのか、結構、無茶やってるのに、あまり怒られないですからねぇ、誰からも。
足利尊氏くらいかなぁ、怒るのは。
足利尊氏はそのあたりが小憎らしかったのでしょうねぇ。

それでいて、自ら笛を吹いたり、能楽などの芸能を推奨する文化人であったりするから、雅(みやび)な雰囲気も持ち合わせていて、こう書いていると、なんだか、佐々木堂誉はずいぶんとイケメンだなぁ。

文化人という話が出たところで、本作ではとある超有名な能楽者(日本史の授業でも名前が出たはず、でないと管理人が覚えているわけがないので)の育成に佐々木堂誉が関わったようなくだりが見受けられるのですが、あれ、実際に関連があったんでしょうか?
それとも、北方謙三先生の創作ですかね?北方謙三先生の創作だとしたら凄いなぁ。

近江(おうみ)という土地が絡むから、そういわれるとそういうこともあったのかもしれないと思えちゃう。
要所で登場してきて、その時々の登場人物の心情を表現するのに一役買ってる。
その能楽者については、名前くらいしか聞いたことがなかったものの「もしや?」と途中から思い始め、最終的にそうだったので「これ実際そうなの?」ってなりました。
これまで全く触れたことのない能楽という文化に多少興味が持てました。
あの時代の人なんですね、あの方たちも。勉強になります。

さて、その他の気なる登場人物ですが、前述の通り、足利尊氏を支え続けた、弟の足利直義、高師直はもちろんめちゃくちゃ登場します。
その他でいくと、佐々木堂誉は近江の人ですから、舞台が近畿中心になるので楠木正成は出てくるんですが、管理人の好きな公家のエース北畠顕家はほとんど出ないのが残念。
例の戦において、佐々木堂誉から見ても超驚異的な存在としては登場しますが、そこまでなんですよねぇ。
まあ、スタートが六波羅探題が陥落した後からですからねぇ。
その後、北畠顕家くんは、東北のほうに行っちゃうから。
その前からスタートしても、北畠顕家くん若いから接点ないか?
歴史考証的にも、その後は、あまり絡みがなかったと見られているのでしょうねぇ。
残念ですが、想像に難くないので仕方ないです。

その他にも、当然あの時代の主要人物は登場しますが、主人公が佐々木堂誉なだけに、それぞれのフィーチャーのされ方はこれまで読んだ他作品のそれとは異なるので、そのあたりも、管理人としては非常に楽しめました。

あー、そういえばですが、今、NHK BS で再放送している大河ドラマ「太平記」では、この佐々木堂誉を陣内孝則さんが演じてまして、なかなか良い感じです。

足利尊氏役の真田広之さんに「(佐々木)判官(はんがん)殿ぉ、判官殿ぉ」って呼ばれてます。
佐々木堂誉は、佐々木判官とも呼ばれていたそうで、その佐々木判官も正式には佐々木佐渡判官というらしく、ドラマでは「佐々木判官」の名称で通ってる感じです。
この判官という立場を調べたところ、どうやら偉いっぽいということだけはわかりましたが、それ以上はよくわかりませんでした。
本作では、判官と呼ばれることはなかったと思うので、今は気にしなくていいかなと思ってます。

陣内孝則さん、現在放送中の大河ドラマ「麒麟がくる」では堺の商人であり茶人の今井宗久(いまいそうきゅう)を演じてましてるんですが、どうも、この今井宗久は近江源氏佐々木氏の末裔らしく、となると「佐々木堂誉と繋がるの?」ということで、そのあたりを狙ってNHKがキャスティングしたとしたら、なかなか気が利いてるなぁと思ってます。どうなんでしょうねぇ。
どちらも面白くて、毎週、楽しみに観てます。

さて、最後になりますが、次作をもう予告します。
一旦、この南北朝シリーズの最後になるであろう、九州のかの方を扱った作品にする予定です。予定というかもう手元にあるので決定なんですが。
ここで、ふと気づいたのが、管理人、結局、実際の時系列の通りに、北方謙三先生の南北朝シリーズを読み進めることになるようです。
北方謙三先生の南北朝シリーズって、たしか刊行された順序は時系列には沿ってなかったはず。
ただ、管理人、たまたま、ほんっとうにたまたまなんですが、読んだ順番が実際の時系列に沿ってそう。
いやぁ、我ながらナイスな選書でした。本当にたまたまですが。
北方謙三先生の南北朝シリーズを網羅するのに残った作品の概要だけはちらっと見てまして、そしたら「道誉なり」の最後にその作品の主人公であろうその方がめっちゃフィーチャーされてきまして「おお!?」となりました。
その方のこと、全然知らなかったので、一挙にモチベーションアップです。
晩年、敵がいなくなり戦のなくなった世の中を退屈に思っていた足利尊氏が胸を躍らせたらしいその俊英の活躍を読むのが楽しみです。

というわけで、今回もまた例に漏れず愚にもつかないレビューになりましたが、足利尊氏に様々な感情を抱かせて、胸をざわつかせまくったものの、結局、最後の最後までお付き合いしてくれた、婆娑羅(ばさら)大名の代名詞 佐々木堂誉の、一見、破天荒(はてんこう)っぽいけど、実はそんなことはない活躍を描いた本作「堂誉なり」、是非読んでみてください。
管理人は「太平記」をきちんと読んだことがないのですが、本作は佐々木堂誉からみた「太平記」なんじゃないかと思います。

歴史には浪漫がある。

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